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空想の寿司レーンには烏賊がない

投稿者
涅槃girl

空想の寿司レーンには烏賊がない 小俵鱚太


突然にして唐突ですが、わたくしはおすしが大好きだ。いかめしい顔をした大将が腕を組む、回っていないお寿司屋さんには縁がないけど、レーンに乗った100円均一のくるくる寿司にはたまに行く。
今日は何を食べようかな、なんて空想は人間なら誰しもするだろう。でも、チェーン店の回転寿司を思い浮かべ、回り続けるレーンを想像し、烏賊の不在を思うなんてどんな人なんだろう。
その人はちょっと間の抜けて、でも根は真面目な人なのではなかろうか。暑い日差しの中お得意先を回り、冷房の効いた喫茶店で一息ついて、コーヒーを飲み紫煙くゆらせる。今日は回転寿司でも行こうか、どんなネタを食べようか、ああ、ああ、烏賊が品切れかあ……
ああ、わたくしもおすしが食べたくなってきた。今夜行ってみようか。ちゃんと烏賊がありますように。 

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どうしたら備長炭へご挨拶

投稿者
笹川諒

どうしたら備長炭へご挨拶 暮田真名


暮田真名『補遺』より。毎週web句会を通じて川柳に少しずつ触れてきたけれど、最近はそれに加えて、川柳の句集を読んで面白い句を探すのがマイブームになっている。その中の一句。

意味不明なことを言っているように見えて、不思議と整合性がある。「備長炭」という語の字面や響きのいかめしさ、実物のビジュアルの無骨な感じは、われわれが普段の日常で「ご挨拶」しておかなくては、と思う偉い人の持つ属性とどこか似通っている。また、備長炭を普段目にする機会と言えば、焼き肉屋である場合が一番多いだろう。焼き肉屋のテーブルにつくと、七輪の中の備長炭と真正面から相まみえることになる。さて、何とご挨拶したものか……。

川柳の句集はなかなか入手しづらい。それでも葉ね文庫や梅田蔦屋書店に通える地域に住んでいるという利点を活かして、色々な句集に触れていけたらと思う。

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燃えている雨もあったでしょうあの日

投稿者

燃えている雨もあったでしょうあの日 笹井宏之


歌人の作品集『えーえんとくちから』(ちくま文庫版)に<俳句>として載っている一連の作品より。でも現代仮名遣いだし口語だし、どうかすると季語もなかったりして、川柳にしか思えません。

燃えている雨から連想するのは神の怒りか悲しみの極北か戦争か自然災害か。脳裏をよぎるのは絶望か諦めか怒りか哀しみか闘志か祈りかそのほかのものか。

彼は天性の詩人でした。

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「    !      、    。」

投稿者
藤井智史

「    !      、    。」  西沢葉火

2018年2月川柳塔WEB句会、「白」くんじろう選。地の句。大変衝撃的な句に出会った。

「    !      、    。」

びっくりした。「おおっ、これは凄い」と心の中で思った。
初めは、悲しい句かと思っていたが、翌日読んでみると、楽しい句にも見えた。更に次の日読むと、怒っているように見えた。

日によって、読み手の感じ方が変わる句なのか。
この句の虜になってしまった。

音楽の世界で、演奏者がストップウォッチを持って、一定の時間になったら、ピアノの蓋の開け閉めのみを行い、一切演奏しなくて三楽章を表現する、ある海外の楽曲も浮かんできた。
当然のことながら、客は、大怒りしたとのこと。「会場の客の怒り声も赤ん坊の泣き声も全て音楽なのである」と作曲者は語っている。
句とこの曲が少し似ている感じがした。

ある川柳大会の懇親宴にもこの句が話題になった。柳友の言葉に、誰かから柳友に相談があったとの事だが、「あなたがどう捉えるかによるんじゃないの」と答えたと言われた。

柳友が言われる通り、この句は読み手によって感じ方が変わるオールマイティーな句だと思った。

懇親宴の話題にのぼるくらい印象に残る句という事は、人の心を掴んだ非常に良い句なのである。

斬新なこの句の作者に感謝。そして、この句を抜句した選者にも感謝である。

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書き換えて塗り替えてなお歴史あり

投稿者
柊無扇

書き換えて塗り替えてなお歴史あり 柊無扇

 自分の愚作を取り上げるのも何だが・・。
韓国との話で、よく出てくる言葉だが、「歴史認識」を巡って、「日本が間違ってるぞ!」と強調される。双方の歴史を並べて比較されているのかと思いきや、どうも一方的な糾弾のようだ。
歴史の完全な記録は「正史」にはならない。みんな時の為政者が取捨選択して都合の良いように「書き換えて」しまうものなんだ。
時代を遡ってみれば分かることだけれど、日本もキチンと反論をしない。それで川マガ本誌の課題「うやむや」で佳作に拾われた次第。も一歩だなあ。

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