きさらぎの絵に描き添える鳥の影

投稿者
真島久美子

先きさらぎの絵に描き添える鳥の影
木本朱夏

 
顔も見たことが無いその人を、私は佐賀空港へ迎えに行った。
到着口から出てきたその人と目が合った瞬間、なぜかお互い通じるものがあり「木本朱夏さん」だと、すぐに分かった。

これが私の川柳人生を変える大きなきっかけになった。

朱夏さんに背中を押され、卑弥呼の里川柳会を立ち上げた。
冊子のページの振り分け方、誌上大会の流れのノウハウ、全て朱夏さんから学んだことだ。

どこへ行っても「卑弥呼の里の久美子さんね」と言われるようになり、ふにゃふにゃと川柳を続けてきた私のままではダメだと思うようになった。
「卑弥呼の里川柳会」を私が作ったのではなく「卑弥呼の里川柳会」に私が作られていくのだ。

出会いの大切さ、素晴らしさを口にするのは簡単なことだが、その出会いこそが自分を変えるきっかけになる。
塔に入会し、同世代の仲間も増え(投句も増え)、その仲間同士でバカなLINEをしながら、いつもありがたい気持ちでいっぱいになる。

こんな幸せも朱夏さんとの出会いがなければ感じることは出来なかっただろう。
この出会いを磨いていく為にも、私は私に出来ることを精一杯やっていきたいと思っている。

ミニエッセイトップ

川柳塔ミニエッセイ

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先ばかり歩きたがるな影法師

担当
文切

先ばかり歩きたがるな影法師
真島清弘

やりたいことをやってきた。

新しいこと。
刺激的なこと。

なぜだかうまくいった。
失敗しても「失敗した」と思わなかった。
うまくいくまでやれば、成功になる。

自分を信じてきた。
前だけ向いてきた。
とにかく突き進んだ。

なぜだかゴールできた。
止まっても「休憩中」と思っていた。
ゴールするまで進めば、ゴールできる。

「まわり」は見なかった。

気がつけば僕は真っ黒だ。
でも真っ黒でいいだろう?
影はいつでも先を行き、僕はいつでも影を追う 。
影があるのはあたりまえ。
僕は黒くてあたりまえ。

「先ばかり歩きたがるな影法師」

ふと声がしてふりかえった。
おひさまがあった。
「まわり」は見なかったから、気がつかなかった。

目の前に、影がない。
僕も、光っている。

影も、黒い僕も、おひさまに背を向けていたからだったんだ。

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子を庇うとき字余りになっている


担当
奏子

子を庇うとき字余りになっている
真島清弘

人は皆、未完成で不完全だ。
なのに自分の子にはいつも満点を望んでしまう。
うちの子は、うちの子は、うちの子は…どれだけそう思って子育てをしてきただろう。
吉野ヶ里大会で清弘さんの句に出会い、目から鱗が落ちた。
ああ、私だけではなかったのだ。
不完全な私が満点を望み子を叱る。
字足らずで頭ごなしに、なぜ出来ないのかと。
そして、子が失敗や挫折をした時、全身全霊、字余りで庇うのだ。
私に何が出来るか…と。
そうして、命は巡る。
人間も動物も親は皆、字足らずで叱り、字余りで庇う。
そこに愛がある限りスパイラルは続く。

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左手がいつも油断をしてしまう


担当
智史

左手がいつも油断をしてしまう
真島清弘

利き手は、右手である。

箸を持つのも右手。鉛筆を持つのも右手。
ソフトボールも右投げ。
握力も右手のほうが力がある。

それでは、右手より左手を使う機会が少ないのか?
それは、違うのではなかろうか。

茶碗は、左手に持つ。紙を押さえているのは、左手。
左手には、グローブ。

左手に油断を与えないように、職場に行く際、バックは、左手に持つように意識づけている。

くじを引くのも、回すのも左手…。

左手に遊ぶ暇を与えるつもりは、今後も無いのである。

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