燃えている雨もあったでしょうあの日

投稿者

燃えている雨もあったでしょうあの日 笹井宏之


歌人の作品集『えーえんとくちから』(ちくま文庫版)に<俳句>として載っている一連の作品より。でも現代仮名遣いだし口語だし、どうかすると季語もなかったりして、川柳にしか思えません。

燃えている雨から連想するのは神の怒りか悲しみの極北か戦争か自然災害か。脳裏をよぎるのは絶望か諦めか怒りか哀しみか闘志か祈りかそのほかのものか。

彼は天性の詩人でした。

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「    !      、    。」

投稿者
藤井智史

「    !      、    。」  西沢葉火

2018年2月川柳塔WEB句会、「白」くんじろう選。地の句。大変衝撃的な句に出会った。

「    !      、    。」

びっくりした。「おおっ、これは凄い」と心の中で思った。
初めは、悲しい句かと思っていたが、翌日読んでみると、楽しい句にも見えた。更に次の日読むと、怒っているように見えた。

日によって、読み手の感じ方が変わる句なのか。
この句の虜になってしまった。

音楽の世界で、演奏者がストップウォッチを持って、一定の時間になったら、ピアノの蓋の開け閉めのみを行い、一切演奏しなくて三楽章を表現する、ある海外の楽曲も浮かんできた。
当然のことながら、客は、大怒りしたとのこと。「会場の客の怒り声も赤ん坊の泣き声も全て音楽なのである」と作曲者は語っている。
句とこの曲が少し似ている感じがした。

ある川柳大会の懇親宴にもこの句が話題になった。柳友の言葉に、誰かから柳友に相談があったとの事だが、「あなたがどう捉えるかによるんじゃないの」と答えたと言われた。

柳友が言われる通り、この句は読み手によって感じ方が変わるオールマイティーな句だと思った。

懇親宴の話題にのぼるくらい印象に残る句という事は、人の心を掴んだ非常に良い句なのである。

斬新なこの句の作者に感謝。そして、この句を抜句した選者にも感謝である。

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書き換えて塗り替えてなお歴史あり

投稿者
柊無扇

書き換えて塗り替えてなお歴史あり 柊無扇

 自分の愚作を取り上げるのも何だが・・。
韓国との話で、よく出てくる言葉だが、「歴史認識」を巡って、「日本が間違ってるぞ!」と強調される。双方の歴史を並べて比較されているのかと思いきや、どうも一方的な糾弾のようだ。
歴史の完全な記録は「正史」にはならない。みんな時の為政者が取捨選択して都合の良いように「書き換えて」しまうものなんだ。
時代を遡ってみれば分かることだけれど、日本もキチンと反論をしない。それで川マガ本誌の課題「うやむや」で佳作に拾われた次第。も一歩だなあ。

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1ページずつずれていく母子手帳

投稿者
涅槃girl

1ページずつずれていく母子手帳 芍薬

 
 みんなみんな「自分はちょっとずれている」と思って生きている(断言)
 息苦しいとか、生きにくいとか、そんなに重い話じゃない。「ちょっと」だから。
 でも、小骨が喉につっかえてるように、ふと思い出すと気になる。天気のいい日、好きな音楽を聴きながら散歩でもしていて、心地よい風に吹かれながら、でも「あれ、自分は、ちょっとずれてる?」と気になってしまう。
 でもそれは仕方のないことなのだ。だって母子手帳がずれてるんだから。
 生まれた子の健康状態や発育状況などを記していく母子手帳。1ページずつずれている。それでも母はかまわない。我が子がかわいいから。ただ一心に、健康に育ってほしいから。
 最初からずれているんだから、気にすることはない。みんなずれているんだから、かまうことはない。
 ずれていたって、母の愛とわたくしの人生は間違っていないのだ。

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触れ合ったところが月になっていく

投稿者


触れ合ったところが月になっていく 畑美樹

 
歌人の故・笹井宏之さんのブログで紹介されていた「現代川柳」のひとつです。

触れ合っているのは恋人同士か、夫婦か、親子か友達か、外国人か。「月」という言葉からはETも連想しますが、まさかそんな即物的なものとは限りますまい。どこに誰とどう触れ合うのか、また、読み手が連想する「月」のイメージによって、解釈はいろいろ変わります。つれづれなるままに、そのバリエーションをいろいろ考えるのもまた、いとをかし、かもしれません。

「月」を「にくづき」ととらえるのも面白そうです。

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