担当 智史 |
最高の日は作らない挑戦者 |
楽しい話で盛り上がり、帰り際に私が、
「今日は、最高に楽しかった」と言った途端、
友人は、「最高の日を作るとその上が無いじゃろ」
と言った。
確かにそうだ。最高の日を作ってしまうと、
その上は、無いのである。
川柳だってそうだ。
「今日の出来は最高だった」
で終わってしまうと、それ以上、進歩が無いのである。
それ以来、川柳に関しては、最高の日は作らないように
心に決めている。
担当 文切 |
今にして最後に会った日の会話 藤岡ヒデコ |
私が27歳の頃だった。立て続けに友人が亡くなった。
サークルの同期が亡くなり、その2か月後に大学の後輩が亡くなった。
2人とも自死だった。
同期は大学の頃同じビリヤードサークルで、毎日のように会っていた。
みなが社会人になってからも、ビリヤード場でたびたび会った。
最後の会話は亡くなる2週間前くらい。
夜10時ごろに「今那覇でみんなで飲んでるんだけど、こない?」と電話がかかってきた。
卒業して地元に戻ったサークルの同期が沖縄に来たので飲んでいるということだった。
「明日仕事で朝から会議だから今日は無理だわ」
「そっか、そうだよね。じゃ、また」
“また”は訪れなかった。
後輩は私が大学院生の頃の学部生で、仲良くなって学部の飲み会に誘われるようになった。
同期と違ってそれほど多くは会っていないけど、10回近くは飲み会をしたはずだ。
最後の会話は廊下で会った時。「今から帰る」と言っていた。
雨だったので「送っていこうか?」と言ったら、「ダイジョブです!」とニッコリ親指を立てた。
それが最後だった。
亡くなるまでは特に意識していなかったけど、亡くなった後ははっきりと思い出された。
最後だと知っていれば、絶対飲みに行った。無理にでも送った。
別れは突然来る。後悔しないようにたくさんの思い出を作りたい。
一番たくさんの思い出を作るべき人は家族だ。
3人の子供は6歳、4歳、2歳。今から10年ほどが、父と子の思い出を一番作れる時期だ。
できるだけたくさんの思い出を、家族と作りたいと思っている。
担当 奏子 |
子供食堂あの子も呼んで来て欲しい |
担当 智史 |
発車オーライ 川柳塔列車は行く |
アウィーナ大阪にて行われます。
楽しい大会終了後には、もっと楽しい懇親宴が
行われます。
ここ2年、「高原列車は行く(岡本敦郎)」を
歌わせて頂いております。
歌に合わせて、皆さんの協力のもと脱線しても
自動修復のかかる、「川柳塔列車」をその日
一本限り運行しています。
皆さんが許して くださるのであれば、今年も
運行させてください。
川柳塔列車…懇親宴会費を支払っておられたら、
どなた様も無料。
怪我をしない程度の飛び込み乗車も
可能。
ドアは、運行中常に開放しています。
長ければ長いほど盛り上がります。
皆さん、どうぞ宜しくお願い致します。
大いに呑んで、食べて、歌って盛り上がりましょう。
担当 文切 |
なるようになると呪文をくりかえす 安土理恵 |
「なんくるないさ」という沖縄の方言がある。
テレビドラマなどで世の中に広く認知された。
沖縄の人はおおらか、悪く言えば、何でも適当にする、いい加減な気質であるということの代表的なフレーズとして使われるケースがあるが、これは本来の意味とは異なる。
元々は「まくとぅそーけーなんくるないさ」という定型句(まくとぅ=真)で、「正しい行いをしていれば、自然とあるべき様になる」という意味らしい。
「なんくるないさ」だけが広まっているが、「正しい行いをしていれば」という前提がある。
「なるようになる」という呪文は、やるべきことをやった人が唱えてこそ効力を発揮する。
有無を言わさぬ説得力を持つ、沖縄のオバーの「なんくるないさ」のようになるには、日々の地道な努力が必要なのだ。