まっ白なしんぶんがきっと来る

投稿者
斎藤秀雄

まっ白なしんぶんがきっと来る 西秋忠兵衛

 
待望か不安か、それとも怯えか、書いていないので分からない。書いてあることから確実に分かることは、「それら」がまだ来ていない、ということだ。それらを、この作中の主体は、ここに書かれたことばを語るナレーターは、見たことも触れたこともない。おそらく朝に来るだろう。その白さは目を灼くように眩いことだろう。それらはいつ来るのか。五分後かもしれないし、来年かもしれないし、人類が滅びたずっと後のことかもしれない。しかし《きっと来る》ことには間違いがない。それらはまだ現実化していないし、顕在化していない。たんに現実化可能であるというだけだ。それらはいまだ潜在的で可能的な領域に留まっている。「見えないもの」であり続けている。この「留まり」は、文藝と、すなわち「書くこと」と同一であるだろう。ぼくたちは、待望しつつ、不安に怯えつつ、たんに現実化可能であるだけの、潜在的で可能的なことを行い続けなければならない。

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