担当 文切 |
吐く息も吸う息もなし 夕桜 橘高薫風 |
私が通っていた中学校は、桜の名所としても有名である(こちらを参照)。
在学当時は、見慣れた光景というか、「通学路に桜が咲いている」という程度の認識で特別な意識はなかった。
大学進学で鳥取から沖縄に移ってもうすぐ20年になる。
沖縄には寒緋桜しかなく、1月2月がシーズンで、散る時は椿のように花ごと散る。
3月末から4月初めは春休みで飛行機代が高く、学生で金もないのでこの時期には帰省しなかった。
沖縄に移ってからは、桜は縁遠いものになった。
大学を卒業してしばらくして、沖縄に移って初めてこの時期に帰省した。
私が学生の頃からは道などが整備されて随分変わっているというので、久しぶりに中学校に行ってみた。
桜が綺麗だった。とても。
在学中に散々眺めて、特に意識していなかった桜に、驚くほど感動している自分がいた。
今の自分には当たり前でも、他人には、将来の自分には当たり前でないことは実は結構あるのではないか。
この句を読んで母校の桜のことを思い出し、日々の暮らしを振り返っている。
担当 智史 |
くす玉が割れて美しい青空 |
何もしないですごすには、非常にもったいない。
昨年度は、不完全燃焼で悔しかったんじゃなかったのか。
ぐずぐずしてはいられない。
さあ、始めようじゃないか。
青い空が待っているぞ。
担当 文切 |
カメラマンも絵かきも同じとこに立つ 小島蘭幸 |
最近「インスタ映え」という言葉があるが、映えるポイントはカメラマンにとっても絵かきにとっても同じ。
カメラマンは写真を撮り、絵かきは絵を描く。
同じ場所からの景色でも、写真には写真の良さ、絵には絵の良さがある。
写真でしか、絵でしか、表現できないことがあるはずだ。
カメラマンに絵を描くことを、絵かきに写真を撮ることを強制しても何も生まれない。
お互いを尊重し合う心から、良い作品は生まれるのだと思っている。
担当 奏子 |
春が来る度に一番線ホーム |
迷いながら、もがきながら、私は前へ進む。
出会いながら、別れながら、未来へ向かう。
後悔も、悔しさも、時には憎しみさえも抱えながら。
春は前へ進む為のリセットだ。
靴紐を結び直して、ゆっくりと前を向き、口角を上げれば汽車の音が聞こえるはずだ。
ホームには涙を拭く人。
うつむいて考えごとをしている人。
楽しそうな人。
人、人、人。
そして、私も今、一番線ホームに立っている。
進め私!
未来の私の為に!
担当 智史 |
大人買い止めて少年取り戻す |
1個30円のビックリマンチョコというおまけシール付きのお菓子を私を含め同級生は挙って買っていた(私は、家族に買って貰っていた記憶がある)。
中でも、ヘッドというなかなか手に入らない、キラキラシールやホログラムシールを当てる為に、何個も買った。
5個買って、いっぺんに1日に5個とも開けてしまい、「楽しみが無くなった」と落ち込んでいると、母から、「1日1個ずつ開けなさい」と言われ、我が家の独自のルールを決定すると、それを忠実に守った(物凄く真面目だったのかもしれない)。
1日1個開けるのが楽しみで楽しみで仕方がなかった。
ヘッドが当たった時は、ものすごく嬉しかった。
やがて大きなブームは去り、私は、ビックリマンを買わなくなった。
先日、コンビニで復刻版のビックリマンチョコが1個80円(税抜)で販売されていた。
「久しぶりに買うか」と思い、手を伸ばした(38歳のおじさんが何をやっているのか…)。
今だったら、ブームに乗って、1ケースごと「大人買い」できるお金もあるが、何か気が引ける。
もう大人であり、少年の時のようなウキウキ感がないこと。
そして、「沢山買って、おまえは、いっぺんに開けるのか」
と神の声。
非常に罪悪感を感じた。
結局2個買って(結局買ったんかい!)帰宅する。
少年の頃に戻り、その2個を、1日1個ずつ開けたのであった。
少年のときとは違う、新鮮な感動があった。
(因みに、子どもの頃から、ビックリマンのチョコレートウエハースも大好きだったので食べた。おいしかった。)