担当
奏子 |
格差とはショーウィンドーの内と外
居谷真理子
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かしこまった格好ではなく、ラフなスタイルでサンダル履き。サングラスをしたままでシャネルやグッチの店に入り、大根を買うかのごとく買い物をする人を良く目にする。
そうか、日常生活の一部なんだな。
…と私は思って見ている。
もちろんショーウィンドウの外から。
マッチ売りの少女が窓越しに見た家族の団欒も、団欒している側は日常生活の一部だったのだろう。
この国は格差社会である。
私には到底買えない物を易々と手に入れられる人が居る。
私が易々と手に入れられる物を悩み抜いた末に買えない人が居る。
誰だって格差を肌で感じるのは居心地がわるいから。
普段は気づいても、知らないふりをしてやり過ごす。
ガラス一枚、平等という名前の不平等が大きなショーウィンドウ越しに、こちらを見て笑っている。
若手同人ミニエッセイトップ
平宗星さま、コメントありがとうございます。こちらこそ残りひと月、どうぞよろしくお願いします。
天の句は悩む事なく一読で天。
その後の選の中も変わる事なく天の天のまま天の句になった句ですw
作者の鋭い目線が日常の風景を一瞬にして格差社会という題名の絵画に変えてしまう。
私にとって、鳥肌ものの一句でした
(o^^o)
どこかで、お会いするチャンスあれば、ゆっくりお話ししたいですね!
はじめまして。「窓」の天位の鑑賞、拝見しました。東京川柳会の平宗星です。7月、8月、9月と共選させていただき、いろいろ視点の違いに気づき、とても楽しい選をさせていただいております。残り1ヶ月、どうぞ、よろしくお願いいたします。
さて選というものは、つくづく選者の等身大の視点が投影されているものだと思いました。やはり、このように「天」位の鑑賞を読んでいると、選者の肉声が聴えてくるようで、奏子さんの選をした視点がよくわかりました。
共感する部分も多くあります。特に「ガラス一枚、平等等が大きなショーウィンドウ越しに、こちらを見て笑っている。」という結びの一文は、まるで「一呼吸詩」の「一行詩」を読んでいるような錯覚を覚えるほどの<人肌のポエジー>を感じました。